だ よ り
 2016年6月号 (第6号)


 愛は万能ではない
     
     マザー・テレサの有名な言葉に、

            「愛の反対語は憎しみではなくて無関心である」

                                                  があります。

 日頃その言葉の深淵にふれるたび、どれほど無関心に生きているかを反省して情けなくなったりします。できるだけの事を自分なり頑張ろう、とその時その時で振り返り、同じ過ちを繰り返すまい、と悔むのです。
 その一方で、冒頭のように、愛は万能ではないのだな、とも思うのです。人と人が互いを思い合っていても、伝わらなかったり、誤解されたり、ちょうど良い距離が測れなかったり。恋愛ではなく、親子関係や友人関係で感じます。私事ですが、精神科に入院、通院して十五年(途中ブランク有り)ほど経ちます。長い間の治療で、カウンセラーさんと激しく同意できたのがこの「感じ」。愛されて育った子は強いといいますが、追い詰めてしまう愛もよく見かけます。近代化とともにストレス社会になったと日本は言われていますが、そのつけは一番弱い人のところに集まってくるようです。ストーカーが「歪んだ自己愛」から来る、と聴くと、子どもの頃の愛情の授受がうまくいかなかったかもしれないなと思います。中には生まれ持った衝動が抑えられないタイプもあるそうです。遺伝子異常で暴力衝動が強い、と。それでも、生まれてきた子供は教育でそれを克服し、次世代へつないでいける可能性を持っているはずなのです。
 誕生は、どんな生き物も奇跡的な確率の連鎖です。いま、ここにいること、それ自体が不思議であり、奇跡そのものです。宗教勧誘ではありません(笑)。生物として生まれられない個体は、そもそも生まれられないのです。日本語がおかしいですが、そういう感じで生物学的には言われています。無駄な遺伝子は残らない。全て有意味のものばかりなのだと。今役に立っていないとしても、かつて役に立ち、また今後、役に立つかもしれない遺伝子だからこそ「生物」を形成できると。病気になりやすい遺伝子すらもそうなのです。ただし、の場合はこれに長い社会教育期間が別の因子として加味されます。複雑すぎる生命体となった人は、「成人」にとても時間がかかり、形成される社会で多岐にわたる能力が必要とされるようになり、その教育にも細心の注意が払われるようになりました。効率主義や、経済至上主義がそのその主なものでしょうか。食物は、本来環境に恵まれ、育成し、収穫することで得られていました。当たり前ですが子どもと話していると、どの食物が食べられるか、どうやったらおいしい時期が分かるか、等そういうことに、興味を持ってくれます。本能的に必要な知識だとわかっているようです。しかし、幼稚園や学校に行きはじめ、社会生活が複雑になってくると、些細なこととして興味が薄れていく子が多いです。楽しいことや美味しいものは自然からでなくとも得ることができます。ここで大人はたいてい子どもの興味に従って、話題を変化させていったりします。それだけでは、偏ってしまうのではないか、と思ってしまうのは杞憂でしょうか。今必要なことも、昔から必要なことも、本当はあまり変わっていないのではないかと思います。大人は子どもとゆっくり会話する。それだけでも子どもは愛を受け取ってくれる。そういう気がします。                              
                           
( 病気シリーズ番外編 文責Sさん )
 
 


 ネガのデジタル化に励む のんちゃん岩下先生
 
ルピカでは、ネガフィルムのデジタル化も請け負う予定です。

現在その担当を訓練中の のんちゃん 岩下 先生 のマンツーマンで頑張っています。

     
            (白い手袋が大きくて余っているのがかわいらしいですね。)

 デジタル化の波にもまれ、写真やビデオもフィルムから「01」信号のデジタルへと移行する流れですね。8ミルフィルムをベータやVHSに移行したのが昨日ように思い出されます。
 ネガフィルムは温度、湿度管理が大事なため、保管するのに特別な配慮も必要でした。DVDやブルーレイディスクに比べると体積もばかになりません。印刷しておけばすぐ見られる写真も楽しいのですが、TVに大きく写して大勢で見たり、すぐ見て焼き増しできたりするのもデシタルデータの便利なところです。共有されやすいという善くも悪くもなる点は使う人次第、という感じでしょうか(笑)
 音楽をBGMに入れたものも作成できますから、一年ごとに家族DVDを作るというのもいいかもしれません。仕事用にDVDを作成するのも便利ですが、イベント毎の家族の記念フォトメモリーを作るのも楽しいと思います♪。
 


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